青春のマリアンヌ(2003年12月 ギィ・フォワシィ)
青春の頃、若き日の私はたくさんの戯曲を書いていました。書いたり消したり、言葉を捜しあぐね、あれこれと文体を試し… そして1954年、徴兵についていたときのことです。物を書くにはあまりふさわしい時期ではありませんでしたが、それでも空想をふくらませるにはなかなか良い時期でした。私はそのとき『サラカナス』という戯曲を書きました。今でも覚えていますが、その作品で、私には何かがつかめたと思ったのでした… 何をつかんだのかは分かりませんでした。劇作家としての私の道となる何かだったのでしょう。それは小一時間あまりの作品でしたので、それだけを上演するには短かすぎます。そこで私は、それと同じくらいの長さの『青春のマリアンヌ』を書いたのでした。それを私は、当時、私が崇拝してやまなかったベルギーの劇作家ミシェル・ド・ゲルドロードの作品を演出していたある演出家にだけ読んでもらいました。そして私のふたつの作品はユシェット座で上演されることになったのでした。1956年のこと、私は24歳でした。それはユシェット座にウジェーヌ・イオネスコの『授業』と『禿の女歌手』という永遠の記念碑が―なにしろいまだに上演してるのですからまさに永遠です―打ち建てられるほんのわずか前のことでした。批評は、わずかの例外をのぞいて、おおむねこの若き劇作家を声高に抹殺しました。『青春のマリアンヌ』について批評は、この24歳の作家が老人ばかり登場する作品を書いたことに驚いていました…。 それには私だって驚きます…。 ところで私の作品にはしばしば老いの主題がつきまといます。老いとは人生の特権的な年齢です。それは回想の年齢、わずかに未来に望みをかける年齢、人生の終わりを意識する年齢、末期の叫びをあげる年齢です。私はこのふたつの作品が再演されるなどとは想像もしませんでした。ただ日本で『青春のマリアンヌ』が蘇ったのでした。どうか、私が劇作家として歩み出したばかりの24歳の私という青年を、この胸にだきしめることをお許しください。彼に言ってやりたいのです。私はお前を裏切らなかったよ。私は生涯を演劇に捧げ、71歳になった今もまだ書きつづけているよ、と。
2004年6月1日〜6月3日 | |||||
1(火) | 2(水) | 3(木) | |||
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