本作品は、アルゼンチンの詩人J.L.ボルヘスを出発点としている。だが、この作品の意図は、ボルヘスのある作品を形象化することではなく、むしろ「ボルヘスという身振り」を取り上げることにある。ボルヘスの身振り、例えば、それは積み重なった時間の層の中で、忘れられたもの、捨て去られたもの、取るに足らないものを収集し、分類する身振りである。ボルヘスの、あり得ない出会いを促す分類の手付きによって、基底となるタブローそのものが狂わされ、時空間は変容し、私たちは迷子の感覚を味わう。「ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、修練を要する。」W.ベンヤミンが「ベルリンの幼年時代」で語っていたこんな体験へと、ボルヘスは私たちを導いてくれる。
他方でこの作品は、東京周辺のとある街としての高島平へのフィールドワークを軸としている。かつては延々と広がる原っぱだった徳丸ヶ原、そこに屹立する現在の高層団地群、またそれを取り囲むようにある街道筋由来の多くの旧跡・・・
J.L.ボルヘスと高島平。このどうやっても出会いそうにない二つをぶつけてみる。そこに何が生まれるのか。問題となるのは「都市の記憶」、あるいはそこに内在する「死」であろう。高島平という「地層」を発掘するなかで、また住民の方々との幸運な出会いのなかで、私たちもまた、とるに足らないもの、捨て去られたもの、虐げられたものの収集に努めた。東京という都市の一郭に眠る記憶の地層が、どんな形をとって現れ、私たちを迷子にするのだろうか。
記憶への旅。Museum: Zero Hourへようこそ。
2004年9月15日・16日 | ||||
15(水) | 16(木) | |||
15:00 | ○ | |||
19:30 | ○ | ○ |