西日本新聞の掲載記事 1992年8月26日
またひとつ、東京に劇場空間が生まれる。場所は両国。あの国技館とは駅をはさんで反対側にある回向院の隣にできた「両国シティコア」の一、二階部分。座席数300の小劇場ながら、プロデューサーの上田さんによると、自ら考える「劇場」として、人間をテーマに人やモノが行き交い、出会う開放された場をめざすとのこと。商業主義から解き放たれた自主企画と若いアーティストへ劇場を提供するという二本柱の運営のもと、何が飛び出してくるか、まさに“ビックリ箱”の期待がもてる。
劇場のこけら落としで集中的に展開される「ヴィトカッツイのびっくり箱」。現代前衛劇の先駆者とされ、ヨーロッパでは評価の高いポーランドの劇作家。ヴィトカッツイ(1885年 ワルシャワ生まれ、1939年第二次大戦ぼっ発の年に自殺)だが、日本ではほとんど知られていない。
「玉三郎さんの“ナスターシャ”はご覧になりましたか。アンジェイ・ワイダさんに演出をお願いしたんですが、あれは元々ワイダさんご自身の発想。その関係でポーランドに十数回足を運びましたが、そこでヴィトカッツイを知りました。絵描きで演劇も書けば小説も書く、写真も撮るという人。生前はほとんど認められることのなかった人ですが、自分の表現を追い求め、自ら意識的にカタストロフィの坂を落っこっていったような人。いま、そこまでのアーティストは見当たりません。消費価値のある物を志向する現代のサラリーマンアーティストとは全く無縁の存在です」。
日本でヴィトカッツイをやるということで、ノルウェイのナショナルシアターのメンバーも参加する。
「このお話しを持ちかけたとき、やっと日本でも、と感激されました。ノーギャラで来てくれることになりました。ポーランドからも若い役者さんがみえます。それでこの際、ヴィトカッツイの芝居、映像、写真、絵画とすべて紹介するものにしようと、びっくり箱仕立てにしたんです」。
「ヴィトカッツイは全く完成しなかった人ですが、少なくとも今のようにスカスカの実力でお金とって芝居を見せる人たちが多い時代では、彼の世界は日本の文化になんらかの刺激を与えるのではと思います。この劇場自体そんな存在をめざそうとしています。毎月二十五日から月末までは、新人の作家、演出家、俳優、ミュージシャンなどにスペースを開放します。イキのいい若手がそこで育てば、と」。
劇場自身が芸術家としてのマインドを持つという非常に挑戦的な試み。伝統文化のメッカ、東京の下町に新しい文化の芽が生まれるか、注目されるところである。
シアターXの歩み
ひょんなわけあって、シアターΧカイという劇場は’90年代にうまれた。東京を分けてながれる隅田川(すみだがわ)左岸、オールドタウン両国の由緒ある回向院(えこういん)の元境内(初代・国技館あと)に聳えたつインテリジェントビルの一・二階部分を占めるこ洒落た小劇場で、百席以下にも三百席以上にも化けられる。
以下、シアターΧをめぐる、そして演劇をめぐる記事・エッセイを、年次ごとに振り返る。
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1992年10月24日〜31日 |
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毎日新聞の掲載記事 1992年9月17日 |
1992年11月23日〜25日 |
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朝日新聞夕刊の掲載記事 1992年10月12日 |
1992年11月6日〜3日 |
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シアターΧ情報誌ニューズレター創刊5号 1992年5月15日 戦うべき敵を見失った演劇にしのびよるあらたな敵 |
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読売新聞の掲載記事 1995年5月9日 |
1992年10月3日〜11日 |
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『王女イヴォナ』 |
1997年10月24日〜11月3日 ヤン・ペシェク(ポーランド) |
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女性ニュースの掲載記事 1998年4月20日 |
第1回シアターΧ名作劇場 第3回名作劇場 |
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シアターΧ1997ファイル 1998年3月31日 |
1997年10月24日〜11月3日 |
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毎日新聞掲載の記事 1998年7月4日 |
1998年8月14日〜16日 |
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シアターΧ情報誌ニューズレター30号 1999年1月1日 |
2004年9月21日 |
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ニューズレター30号 1999年1月1日 |
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シアターX(カイ)劇場プロデューサー:上田美佐子 |
第5回シアターΧ国際舞台芸術祭[IDTF] |
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「第5回シアターΧ国際舞台芸術祭」2002年9月3日〜20日 |
2002年9月10・11日 |
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シアターΧは、民間経営であるが単なる貸ホールの形をとってはいない。前年10月末日までに提出された企画書を協議し、提携する公演を決定する。従って年間の公演はシアターXの自主企画および提携公演とである。管理会社からは「地域に密着した一般の人に受けるようなものの企画を」といわれているそうであるが、上田氏は「例えばミラノのスカラ座をミラノの人たちは誇りに思ってはいるけれども、スカラ座が地域の人に受けるのための特別な何かをするということはありません。今、なすべき芸術的課題を真摯に追求しているのみ」と言って切り抜けている。X(カイ)がめざしている作品も、今になすべき新しい思想、形式の懸命な模索である。先駆的な演劇が主軸であるが、近年はモダンダンスの上演も多く見られるようになった。大相撲発生の地、両国にあって、舞台の広さは12m×10m(最大時)、客席数は200席から400席、使用料は区営なみの低料金に抑えている。 |
1992年11月23日〜25日 |
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「Argus−eye」2008年10月号 明日をどう生きるか?を考えるための演劇 ──シアターΧ(カイ)劇場プロデューサー上田美佐子さん |
1992年9月15日〜12月25日 1993年9月25・26日 |
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