■つかこうへい:1974年、劇団『つかこうへい事務所』を設立。1974年、『熱海殺人事件』で岸田國士戯曲賞受賞。1980年、第15回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞。1981年、『蒲田行進曲』で直木賞受賞。1994年、東京都北区と協力し、北区つかこうへい劇団を創設。日本で初めて行政のバックアップを受けた劇団として多くの関心を集めた。シアターXでは『熱海殺人事件・エンドレス』(1993年)、『熱海殺人事件・モンテカルロイリュージョン』(1994年)、『蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く』(1995年・1996年)など。
シアターΧ情報誌ニューズレター10号より抜粋 1994年1月20日
時代を超えて、常に若者を刺激するつか演劇
今回の『熱海殺人事件』には、一本の戯曲の持つ可能性に対する、限りない挑戦が込められていた。昔、コーヒーの宣伝文句に、「いいものは……変わらない……」という台詞があったが、「いいものだからこそ、ここまで形を変えることができる」と、あくまで、私個人的には、認識を変えたいと思う。
4月の『オーソドックス・バージョン』から始まり、8、9月の『モンテカルロ・イリュージョン』では、阿部寛を伝兵衛に抜擢し、工員が女工の首をしめるという本来の事件ではなく、元スポーツ選手数人による、哀しいドラマが産み出された。そして、『妹よ』では、鈴木聖子による、初めての女伝兵衛も生まれた。本当に、一本の芝居に、ここまでの力があるなんて、ものすごいことだと思う。
──中略──
それにしても、この8ヵ月間、一体、どれくらいの数の高校生が両国を訪れたことだろう。彼らにとって、両国は「国技館」の街ではなく、「シアターΧ」「熱海殺人事件」の街なのである。しかも、お金を持っていそうで、実は持っていない高校生にとって、高いチケット代は、常に悩みの種なのだが、かなりありがたいものであった。さらに、夏休みに開催された、高校生のためのワークショップは、大変盛況で、高校生にこんなすばらしい機会を与えてもらい、本当に心から感謝している。このワークショップが、若い彼らに与えたものは、かなり大きなものだったようで、特に高3の生徒の一人は、「この3日間で、私が受けたショックは、今まで芝居をやってきた中学、高校の6年間を超えていました」とまでいっていた。(ちなみに、6年間指導してきたのは私です)
もちろん、全員が役者を目指しているわけではないのだが、参加した一人ひとりが胸を熱くした3日間であったのだろう。特に最終日は、ものすごい台風で、昼には電車が全て不通になり、道路もどぶ川状態になってしまったにもかかわらず、つかさんは来てくださったのだ。高校生のためにである。しかも、予定では5時に終わるはずが、「電車が動いていないんじゃ、今終わっても帰れないでしょう。電車が動き出すまで続けましょう」
と、ワークショップは9時過ぎまで行われた。何度もいうが、高校生のためにである。
──中略──
つかさんは、そんな高校生のために、9時過ぎまでつきあってくださったのだ。ばかにすることなく、真剣に向き合ってくださった。この姿勢には、本当に頭が下がる。
(1994年1月20日 西澤周一)